ー木挽町四代目、狩野栄川古信 八代将軍吉宗治世の御用絵師ー
 


狩野主馬尚信(しゅめなおのぶ・1607〜1750)
 
  考信の次男であり、秀忠に拝謁して17才の時に幕府御用絵師(奥絵師)になる。竹川町に屋敷を拝領する。竹川町狩野家と称したが、六代狩野栄川院典信(えいせんいんみちのぶ)の時に木挽町に屋敷を賜り、以後、木挽町狩野家となる。
  四代狩野栄川古信(えいせんひさのぶ・1696〜1731)は、享保八年(1723)に御用絵師になり八代将軍吉宗に仕えた。しかし早逝(36才)であったためか作品が少ない。才能はあったようである。通称は村井久左衛門、昌庵と号した。下記の象は「鳥獣鷹象写生図巻」にあり、享保のゾウを描いた中でも秀逸であろう。両方の鷹は吉宗に献上された弘前藩津軽家の鷹であろうか。金地に鷹を描き軸にされている。(注)竹川町狩野家三代目・狩野髄川岑信(みねのぶ)が将軍家宣に寵愛され浜町狩野家を造ったため、順番では五代であるが、直系の木挽町四代目とした。

また 古信は自らも絵を描く文人大名、仙台藩五代藩主伊達吉村からも愛され絵を描いた。作品には『鷹鳥図』仙台市博物館蔵、『近世職人尽絵屏風』喜多院蔵、


徳川吉宗が長崎から呼び寄せた象(ゾウ)  六郷渡の船橋を渡る象(ゾウ)(大田区)
ゾウ
 
『鳥獣鷹象写生図巻』狩野栄川古信が描く享保のゾウ二種 東京国立博物館蔵 
ゾウ

 
『御鷹生地取_上巻』絵・狩野古信 江戸時代 東京国立博物館蔵 

画中には「陸奥守殿より献上 赤婦生ノ地取」とある。弘前藩津軽家から献上された鷹を、御用絵師狩野栄川古信(1716〜1731)が幕府鷹部屋にかよって描いた二巻の写生図。(木挽町狩野家四代目栄川古信)
狩野栄川古信は、御用絵師として将軍の側に立ち、命じられ鷹をスケッチ(下絵)を描いた。現場では墨の輪郭線を描き、持ち帰り手直し、彩色したようである。東京国立博物館には下絵を張った巻物が残されている。東京国立博物館蔵  
狩野栄川古信の下絵 才能があったようで若死が惜しまれる。
  
 
がらん鳥

『有徳院加筆鷹画草稿』絵・狩野古信 江戸時代 東京国立博物館蔵
御用絵師 の仕事のひとつに、将軍の手ほどきとして絵の指南があった。八代将軍吉宗は好奇心が旺盛で探幽を信奉していたという。探幽以後の才能ある古信を贔屓にして探幽の事を楽しみにしていたらしい。
 
がらん鳥

  「堀田禽譜」(堀田正敦の創った図譜)
  『天鵞(ハクチョウ)よりやや大きく首が長い。羽は白く灰色を帯び』『喉には袋があって水が二、三升も入り、入れるに従って袋の皺がのびて大きく膨らんだ』とある。がらん鳥、おそらくモモイロペリカン(現和名)であろう。別にも狩野□信とある絵があるが不詳である。
鳥の大きさを表すため、和紙をつないで描いている。狩野家が御用で描くときは、現物の大きさに描くのが基本であり、絵に落款や名前を記載しなかった。この絵も現物に近くの大きさで描いた。このため御用絵師狩野家の描いた図譜絵が確認できない、おそらく幕府の官僚や旗本・御家人は画の依頼を狩野家や表絵師に頼んでいたのではないかと考える。 東京国立博物館蔵
 参考図書
『江戸鳥類大図鑑ーよみがえる江戸鳥学の精華『観文禽譜』ー』鈴木道男編 株式会社平凡社 2006年刊 定価35.000円。
『巨匠 狩野探幽の誕生 江戸初期、将軍も天皇も愛した画家の才能と境遇』門脇むつみ著 朝日新聞出版 2014年刊