本堂裏側に登る車坂、坂上には星亨の墓がある
写真の坂は車坂中頃も星亨墓付近。坂のカーブを曲がったあたり左側に承教寺の墓域があり、なかに英一蝶の墓がある。車坂は江戸期よりある古い坂である(2011年この石碑はない)。
車坂
本町稲荷神社脇から登る坂である、左写真の石碑がある。この石碑は個人の寄進による、「株木政一」とあり昭和33年(1956)に置かれた、氏の墓は車坂頂上付近にある。 
車坂写真星亨墓写真
星亨墓写真
星亨の墓と獅子の形を模した「線香置き台」
 車坂を登ること中頃を過ぎた後に、星亨墓域はある。道の左側にあり、今は訪れる人もなく静かである。写真のように凝った形の「線香置き」がある。獅子の形をしており池上本門寺墓域の中でも無いのではないかと思う。後ろに見える墓石は陸奥白川十万石阿部家の初期頃造られた墓所であると言われる。彼は職人の家に生まれる、維新後に横浜税関長を務めた、その後、渡英してイギリスの弁護士資格を取得する。陸奥宗光に英語を教えた縁により政界に入る。押しの強い人物であったという。第四次伊藤内閣の大臣であったが東京市の疑獄事件に巻き込まれ、伊庭想太郎に暗殺された。人気のあった政治家であったため大きな話題となった。彼がしたことは、現在の政治の基礎部分「地方利益の誘導による党勢拡張」という、日本人の政治形態を示したことである。このあたりは芝二本榎の承教寺(旧本寺は池上本門寺)の墓域であり関係する墓が多い。星亨の写真(1850年4月14日〜1901年6月21日

 
道しるべ写真
写真右は星亨墓への道しるべ、名前の上に指さす手が見える。車坂上にあり往年の参拝者の賑わいを偲ばせる。
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