ー明治38年(1905)頃から造られ始めた馬込特産……馬込半白節成胡瓜ー

馬込半白節成胡瓜写真

2015.06.09更新
錦絵 馬込村
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撮影・河原雅春氏↓
写真 馬込反半白キュウリ
写真の馬込半白節成胡瓜は、長さ26から22センチほど、太さ4センチほどである


馬込半白節成胡瓜、味の特長
 この馬込特産の馬込半白節成胡瓜(以下、馬込半白)は、青胡瓜に比べて柔らかく、ぬか漬けとして最適のため好まれた。古くは出荷の際に三種類に分けられていた、小指ほどの太さで、10センチほど長さが高級品で、高級料亭やお金持ちの家庭などで食された。次に一回り大きいものが良く、一般的には、現在の青胡瓜のやや小振りの大きさが食された。第二次大戦前には統制から一種類になり、現在の胡瓜の大きさで出荷された。大きな胡瓜ほど大きさである


写真 石碑

馬込半白節成胡瓜の歴史


江戸時代の食糧事情
 
  江戸幕府開府以来、ますます増加する人口に食料の供給が大きな問題となる。米(コメ)はどうにか地方から運びこみ必要量を確保できた。しかし、現代と違い保存手段のない時代である、野菜などは直ぐにしおれて駄目になる、そのため、開府当時は慢性的に野菜不足であった。新鮮な蔬菜(そさい・副食にする野菜)は近くの村から毎日のように運び込むことが必要である。野菜不足は、当時の流行病(はやりやまい)が「脚気と鳥目(夜盲症)」と言われたことからも窺い知ることができる。

幕末頃と思われる『日々徳用倹約料理相撲取組』(見立番付)の中にも、胡瓜は「なまりきゅうりもみ」として載っている、かつおのなまりのきゅうりもみである。今ではあまり見られない胡瓜料理である。(『江戸の野菜ー消えた三河菜を求めて』野村圭祐著 八坂書房刊 2005年)

世の中が落ち着くにつれ、幕府が率先して野菜づくりを始めた。また、江戸に集められた全国各地の大名屋敷は、幕府より与えられた広大な拝領地(大大名は一万坪以上、小大名でも数千坪の拝領地)を持ち、畑で故郷の野菜を造ることが出来た、そこで家臣達が食べるための食料(野菜)を自給していた。江戸在住の藩士は生活費の節約と、故郷と同じものを食べたいがために、故郷の野菜を江戸に持ち込み屋敷内の畑に蒔いた。各地の珍しい野菜も将軍家に献上された。それら種が江戸幕府の後押しもあり、徐々に江戸近郊の農家に広がり始めたのである。
 江戸に野菜を供給した近隣農村は、地理的に東西に分けられる。武蔵野台地はずれに位置する荏原郡(大田区)は西側で、東側の葛飾区や世田谷と同じく、大江戸の食料生産地として重要な役割を担っていた。

  また参勤交代で江戸から帰国する侍により、珍しい江戸土産と共に故郷にはない「野菜の種」が地方へと環流していった。江戸を中心とした食料サイクルが全国に形成されたのである。

馬込半白節成胡瓜の誕生…河原梅次郎氏の『大農園』採種場
 馬込半白は大井胡瓜を改良したものである 、胡瓜と瓜(うり)を掛け合わせて改良した。明治30年頃に始まり、改良を重ねて節になる形になったのは、明治37〜38年頃である、馬込半白節成胡瓜と呼ばれるようになった。栽培人が独自に胡瓜販売と、採種して胡瓜の種も販売した。
 馬込中丸の篤農家「 河原梅次郎」は、熱心に改良を重ね品質の高い種の採種を目指した、また馬込半白の普及をするために近隣5〜6軒をまとめ、採種組合『大農園』を設立した。梅次郎氏はこの種を『原々種』と呼んでいた。(写真ー1参照)
 
  梅次郎の採種姿勢は徹底しており、大田区史によれば、『キュウリの花が咲く時期には、早朝に畑に出て、筆先で人工交配し、他の品種の花粉が混じるのを避け、結実すると見回り、色・形の良いキュウリに印を付けた。(中略)、梅次郎は広げた種の中からピンセットで良いものを一つずつより分けたと言われる。形で見分けがつき、上・中・下の品質に分け、この上質の種が、翌年の「大農園」」で蒔かれる種となり。中質が出荷用になり、地方発送された。』と記載されている。下の写真

  梅次郎は熱心に普及に努め、日本各地へ教えに行ったり、種を求めて、訪ねてきた人を泊めたりして熱心に教えた。大正11年(1922)8月には、東京府から委託された『東京府農事試験場委託採種場』として活動する。(写真ー2)


 
写真 石碑
都営地下鉄 西馬込駅近くに
ある記念碑。
石碑の文章
写真 記念冊子
上は記念碑記念の冊子

昭和4年(1929)頃の馬込  
昭和35年頃の西馬込


丁寧に種を採種する河原梅次郎(中央の男性)と家族達、撮影日時は不明だが、大正初期頃であろう、女性の髪型がその事を表している。拡大表示

この後、木桶に採種した種を洗い場で丁寧に洗う。洗い場写真
古写真 採取風景
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馬込大太三寸人参の話。
写真 
写真 河原雅春氏所蔵


『ヤマト種苗会社委託採種場』となっている時期があるが、大正15年(1926)以前か後か分からない、同名に近い会社が川崎市高津区にあり、創立は大正9年(1920)とあるので問い合わせてみたが、当時の資料がなく判明しなかった。写真の人物が、大農園の半纏を着ていないことから、おそらく大正15年以前と考えている(写真ー3 )

昭和10年(1935)に『馬込半白胡瓜採種組合』が設立される。この 組合が原種の保存を目指して、東京市農会大森出張場内に事務所が造られる。品質の保持、これより東京以南に種が出荷される。(大田区史では、組合の設立を昭和8年にしているが、河原家に保存されていた資料から昭和10年にした)(注)下記写真は古い写真を復元した

馬込半白の畑写真 馬込半白の畑写真 馬込半白の畑写真
河原梅次郎、原々種の畑(写ー1)
西馬込2丁目24番地付近
東京府立農事試験場委託採種場(写ー2)
西馬込2丁目付近
ヤマト種苗会社委託採種場(写ー3)
西馬込2丁目付近
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法被写真 馬込半白畑の写真
大農園の半纏(はんてん)

東京府立農事試験場委託採種場(写ー2)
西馬込2丁目7番地付近

ヤマト種苗会社委託採種場(写ー3)
西馬込2丁目付近
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写真はすべて西馬込2丁目7番地付近、河原雅春氏所蔵、禁無断転載

馬込半白節成胡瓜は、おいしいが日持ちが悪い、そのため第二次世界大戦以前頃より、神奈川県農事試験場二宮園芸部で造られた「相模半白」が流通し始めた。青胡瓜と交配して造られ、店持ちが良く、苦みが少ない。この相模半白を馬込半白と誤解している人が多い。

戦後、純正種の馬込半白が無くなったことを憂い、復元を試みた人がいる。中馬込の波田野一治氏である。長年復元に取り組み、満足が出来る種子が取れるようになったのは、1986年頃(昭和61年)であった。(大田区報 1991年8月1日号)

現在でも個人で馬込半白節成胡瓜は作られている、7月頃には都営地下鉄・西馬込駅近くの「JA東京中央馬込支店」の店頭で、組合員が場所を借り自主販売をしている。胡瓜の季節になり、運が良ければ苗や胡瓜を手に入れることが出来る。住所、大田区南馬込5ー39ー3 電話03ー3775ー1321。また「JA東京むさし」でも販売されているようである。

馬込半白節成胡瓜は 、戦後、昭和40年頃まで販売されたが、地元の野菜市場の廃止と住宅化のため作られなくなった。現在は縁の人達がマンションや家の庭で栽培して原種の保存に努めている。

『食彩の王国ーきゅうり 涼風を届ける夏野菜ー第334回』TBSテレビ放映・2010年7月10日

馬込半白節成胡瓜は、5年前にTBSの食彩の王国で紹介されました。河原雅春氏がシャイな方でテレビに出演したことを恥ずかしかったため、ホームページで紹介することを控えておりました。残念なことにお亡くなりになり、下記のように江戸野菜研究会・代表大竹道茂氏のご尽力により種の保存のめどが立ちったことからテレビ放映も公開することにいたしました。氏のご冥福をお祈りいたします。

馬込特産ー馬込半白節成胡瓜の種子が公的機関に保存されました。(2015年)
 1.農業生物資源ジーンバンク
 2.東京都農林総合研究センター
 3.東京大学大学院農学部生命科学研究科
今まで種を受け継ぎ守って来た方達も高齢に成り、徐々に保存が難しい状況になりかねません。そこで江戸東京・江戸野菜研究会・代表大竹道茂氏にお願いして保存へ動いて頂きました。その結果、上記の機関に保存されました。大竹道茂氏には大変お世話になりました、厚くお礼申し上げます。

 
農業水産省選定「地産地消の仕事人」江戸東京・江戸野菜研究会・代表大竹道茂氏のブログ紹介
 氏は江戸東京の伝統野菜に造詣が深く、普及から保存までご努力頂いているエキスパートである。
 
  江戸東京野菜通信 http://edoyasai.sblo.jp/
 大竹道茂の江戸東京野菜ネット http://fv1.jp/chomei_blog/?author=5
 
大竹道茂氏の著書
 江戸東京野菜物語編と江戸東京野菜図巻編、詳しくはブログを御覧下さい。
2015年の新刊
『伝統野菜をつくった人々「種子屋」の近代史』阿部希望著 農山漁村文化協会(農文協)刊 3500円(プラス税)詳細を見る
参考 『江戸・東京ゆかりの野菜と花』 企画・発行 JA東京中央会 1992年発行
『江戸・東京 農業名所めぐり』 企画・発行 JA東京中央会 2002年発行
『大田区史(資料編)民俗』大田区発行 昭和58年(1983)
『博物館ノートNO.32 馬込半白節成胡瓜』大田区立郷土博物館 発行 
『大田区報』1991年8月1日号(平成3年)
『江戸の野菜ー消えた三河菜を求めて』野村圭祐著 八坂書房刊 2005年
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