明治初期に絶滅したと思われる日本狼(ニホンオオカミ)山犬を江戸図譜で見る

オオカミ
狼(おおかみ)

  オオカミは大陸オオカミ一種であり、ニホンオオカミはその亜種であると見られる。北海道を除く本土に分布していた、北海道にはやはり亜種であるハイイロオオカミがいた。日本本土では、明治38年(1905)奈良県東吉野村鷲家口で捕獲されたオスのオオカミ以後、目撃例がなく絶滅したと考えられる(定説)。北海道の蝦夷オオカミ(ハイイロオオカミ)はこれより早く明治33年(1900)頃と考えられる。
これらの図譜は、狩野派の絵師が描き、江戸図譜の中に収録されている。

シーボルトがオランダに持ち帰った剥製とヤマイヌ画(下)
 ニホンオオカミ 1頭剥製 体高45.0センチ 体長61.0センチ      
ライデン国立自然史博物館 
『江戸時代まで日本人はオオカミのことをしばしば、ヤマイヌと読んでいた。 シーボルトは江戸参府の途中、大坂でこれを入手したらしい。のちに、動物学者テミンクらによって研究された結果、世界で最小の部類に属する狼であることが明らかになった。学名canis hodophylaxは、「送り狼」因んで命名されたとも言われる。ライデンの国立自然史博物館には、この見事な剥製の他、日本狼の頭骨が少なくとも4個保管されている。』(『シーボルトと日本』編集:京都国立博物館・東京国立博物館・朝日新聞社 発行朝日新聞社)


画・川原慶賀
    
おおかみ

日本の山岳信仰三峯神社では、神の使い「神使(しんし)」として祀られ『大神(オオガミ)』と呼ばれた。現在も山岳信仰の神社の狛犬になり参道を守っている。大田区の山岳信仰神社・御岳神社  東京国立博物館蔵
オオカミ
博物館獣譜『オオカミ』東京国立博物館に所蔵された江戸の図譜を田中芳男が編纂したものである。江戸時代ではなく、明治初期の画である。日本で絶滅したニホンオオカミは、12〜3万年前に大陸オオカミから分化した亜種である。灰色オオカミと同種であるという。東京国立博物館蔵
 
ハイイロオオカミ

『博物館獣譜 黒狼』帝室博物館の田中芳男の編纂である。画中には、寛政3年(1791)水戸の南で捕獲されたとある。
山犬

●↑『博物館獣譜 ニホンオオカミとオホカミ(ハイイロオオカミ)』 とあるがハイイロオオカミは蝦夷狼オオカミかも知れない。絵は馬場大介である。(『彩色 江戸博物学集成』平凡社 1994刊)。 東京国立博物館蔵
   
『諸獣之図 諸鳥獣の内 狼』博物館獣譜 東京国立博物館蔵 江戸時代 右写真は 御嶽神社のオオカミ狛犬 である。
 
永青文庫蔵『毛介綺煥』のオオカミ(図なし)
この本には初めて日本オオカミの計測値が書かれている。
『 洞長三尺・顔長八寸
・口廣四寸・尾長一尺三寸・前足一尺三寸五分 ・同 高 二尺二寸五分 後足 一尺七寸五分・同高二尺二寸  宝暦八年(1905)二月、肥後国下名連石村 若い雌』
狼の「狛犬」と狼を形取った「根付」
狛犬 オオカミ狛犬 オオカミ
根付…江戸時代の装身具
 根付けオオカミオオカミ根付け

オオカミ根付け

オオカミ 根付け
狼(オオカミ)を形取った「根付」
 
根付とは江戸時代に使用された留め具である。和服では小物(煙草入れなど)を腰帯に止めるため、紐の先端に根付を付け帯に通す、根付が滑り落ちを防ぐ役目を果たす。江戸時代になり始まり後期には爆発的に流行した。主に男が用い武士も町民もなく実用から装身具として発達した。材質は木製の黄楊(つげ)から象牙まで色々あるが彫りの一品製作なので同じ物はない。武士は身分を表すものとして身につけ、町民は財力を表すものとして贅(ぜい)をつくした。また印籠には必需品であり、高価な印籠には高価で見合った根付がつけられた。東京国立博物館には、コレクターとして有名であった郷誠之助氏と高円宮憲仁親王の募集品が収蔵されている。

 明治以後、外国人には大変な人気で美術品として取引されて、浮世絵と同じく良物は全て海外にある状況のようだ。根付を付け小粋に見せる伝統は現代に受け継がれ、携帯電話ストラップに小物をつけ見せることを意識したギャル(小娘)がいる。

左から一番目「狼亀木彫根付」線刻銘・「政友」「三番目は、線刻銘「友忠」、四番目・線刻銘「虎渓」、五番目・線刻銘「信吉」 根付の大きさは3.5センチほど 東京国立博物館蔵 (参考「印籠と根付」東京国立博物館 二玄社200年刊)
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