ー高山象三の部屋ー
 
大正13年高山徳右衛門(芸名薄田研二)の長男として生まれる。
 
姉のツマ子と共に昭和7年東京少年劇団に参加。小学校2年生だった。
  
  前年に満州事変が勃発し、戦争へ全国民が駆り立てられて行く世相の 中で反戦、反ファシズムの思想を幼い子供たちの心に育てたいという願いから作られた劇団でした。
 
  その後姉ツマ子は新築地劇団に入って女優となり、弟象三は日大芸術科 に進学し『演出』を専攻します
 
  苦楽座が解散して、移動演劇隊に編成替えをした

  昭和20年1月から象三は移動演劇隊に加わり広島にいく。
 
  丸山定夫は被爆一週間前に象三の父薄田研二に宛てたはがきに「象ちゃ んはつくづく私の一生の掘出しもの― 幸福でした」と書いている。
 
父薄田研二は象三の墓にこう刻んだ『この世の最大の歓喜とはどんなものであるか。この世の至高の幸福とはどんなものであるか。耐え努め知ろうとして、しかもむなしく消え去った。若き芸術家の墓』と

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