資料「1945年9月17日開催・桜隊合同葬の際の弔辞

紹介 児玉謙次(青年座・世話人)
 桜隊の最初の事務局長であった、故池田生二さんがお持ちになっていた面白い資料をご紹介します。昭和20年9月17日に築地本願寺で桜隊合同葬儀を行うという案内状を葬儀委員長・阿子島俊治さんが出すんです。そして当時の日本移動演劇連盟会長藤山愛一郎が、情報局に対してこの合同葬に「弔辞」を出してくれという願いを出します。

 『情報局総裁 緒方竹虎殿』
この方はものすごく切れ者の政治家でございまして…。
 『弔辞下付願。謹啓、本連盟専属劇団桜隊員九名、八月六日、広島市に於て戦災殉職つかまつり候ところ、来る九月十七日、築地本願寺に於て別紙の通り、右合同葬執り行うべく候に付、甚だ恐縮の儀に御座候へども、特別のお計らいをもってご弔辞下付賜りたく此の段、御願い候なり』
 会長藤山愛一郎、ぼくの乏しい情報ではありますが、藤山愛一郎というのは、財閥であり、王子製紙とか大日本製糖とか大会社を経営してなおかつ政治家であり、なおかつ演劇に大変興味を持っていたらしく、藤山愛一郎さんは奥さんを亡くされると、なんと当時劇団民藝に所属しておりました細川ちか子さんという美貌の女優ですね、丸山定夫さんと同じ築地小劇場にいた方です。その女優を二度目の奥さんに迎え、子どもを儲けるという、大変、なんというか、演劇、新劇に対して理解のある方なんだそうです。この方が情報局総裁緒方竹虎殿に弔辞を書いてくれと申込んだ。すると情報局、即座に受付けます。至急という印が押してあります。9月14日に受付けて、16日に決裁します。
 『社団法人日本移動演劇連盟専属移動演劇隊「桜隊」広島市戦災死隊員合同葬執行に際し、当局総裁名弔辞下付の件
標記の件に関し別紙の通り下付願い有りたるにつき、殉職隊員の移動演劇活動に貢献せる業績に鑑み、弔意を表すべきものと思料せらるるについては、別紙弔辞案により総裁弔辞下付相成可然。

  記
日時 昭和二十年九月十七日午後一時
告別式は午後二時から三時
場所 築地本願寺 仏式
(備考 弔辞代読のため第二部第二課長出席の予定)』

と、なっております。誰かが代読したんですね、ぼくのように。その他、情報局名をもって生花を供すること、費用は機密費から出すこと、とある。なんだ戦後なのにまだ機密費があったのか。まあ現在もあるようですから。そしてその弔辞案ですが…
 『ここに社団法人日本移動演劇連盟専属移動演劇隊「桜隊」 隊長故丸山定夫君、隊員故高山象三君、同故園井恵子さん、同故仲みどりさん、同故森下彰子さん、同故島木つや子さん、同故羽原京子さん、同故笠絅子さん、同故小室喜代子さん の合同葬執行にあたり謹んで蕪辞を呈します』
 「蕪辞」なんてぼくは知らなかった。漢字字典調べたら、まとまりのない言葉、謙遜して文章を作ります、ということらしいです。
 『諸君は夙に我が演劇文化の質的向上に思いを致し、同志相集い、劇団「苦楽座」により新しき国民演劇確立のため、盡瘁せられた方々でありまして、その芸術的成果は、顧みて甚だ顕著なるものがありました。更に諸君は戦争の進展とともに逸早く芸能に課せられたる任務のいかに重大なるかを認識せられ、啓発、宣伝面の第一線に率先し、社団法人日本移動演劇連盟の下に、工場、鉱山、農山漁村等の慰問激励公演に揮って挺身せられ、その真摯なる演劇精神と溌剌たる演技は、工場の食堂に、山村の仮設舞台に、大いなる感動と慰楽をもたらしたのであります。而して戦局の緊迫化に伴い、諸君はますますその使命遂行に邁進せんとして、進んで連盟専属「桜隊」を結成するとともに、劇団地方移駐の魁となり、本年六月、決然として広島市に赴かれました。斯くして諸君は熾烈なる空襲下、移動、輸送の困難に耐え、宿舎食糧の不充分をも忍び、ひたすら芸能奉公の赤誠に燃え、奮励敢闘中のところ、八月六日、原子爆弾戦災に殉ぜられたのであります。
 思うに現下われわれは、御聖断を拝しましてより、連合軍進駐の裡に、全国民再発足の緒に就き、平和国家日本の確立と人類文化への貢献に向って不断の努力を続けて参ることに相成りました。今や新演劇文化建設の門出にあたり、隊長丸山君の如く、斯界の重鎮にして今後の指導的人材たるの士はもとより、期待すべき才能、力量を有せる若き隊員諸君に俟つところ、甚だ大なるものがありましたが、揣らざりし其の訃に接し、ひとり演劇界のみならず、新日本文化の為、まことに痛恨に耐えない次第であります。然しながら私は、諸君が一命を捧げて劇界に遺された業績は我が演劇史上に燦然として輝き、諸君の遺志は必ずや同道の士に受け継がれんことを、かたく確信するものであります。諸君の冥福を祈り以って弔辞といたします。
 昭和二十年九月十七日
  情報局総裁正四位勲二等 河相達夫 』
 これからもこういうものがたくさん出てくると思いますので、その都度発表したいと思います。

発言 早乙女勝元(作家)

 初めてこの会に参加したのはひと昔前、東京大空襲のお話をした覚えがあります。民間募金によるところの東京大空襲戦災資料センターが立ち上がったばかりの頃でした。
 二年ほど前から私は東京新聞の「東京どんぶらこ」という土曜日ごとに出る大きなコラムをやっています。六人で担当していますので、私の番が回ってくるのはだいたい一か月に一回くらい。先日、今日の八月六日が締め切りの原稿をどうしようか、と考えている最中にこちらからチラシが届きました。もうちょっと詳しく調べておきたいということで近野さんに特別にお願いして、この後に朗読される詩も先に読ませていただきました。もう今日中になんとしても原稿をまとめてファックスで送っちまおうと。結論は、原爆と原発には共通点がある、それはヒバクシャを生み出すということなんだ。その最後の一行で締めくくろうと今考えたところです。新聞が出るのは八月二十五日になるはずです。八月中なので桜隊を偲ぶにはちょうどいいのではないのかな。うまく書けるかどうかはこれからの勝負ですけども、なに、一杯飲めばたちどころに、ということで。


発言 柴田正光(堺市在住)
 大阪で娘と一緒に生活しています。私が住んでる処はニュータウンで、台風が来ても何事もなく通り過ぎて行く。福島原発の放射能とか原爆のこととかも、遠い昔のことであるし、遠い所のことであるという空気がかなり強いんでないかなあと思っています。戦争中は私も予科練に行きましたが、予科練に行ったって飛行機に乗れたわけじゃないんです。みんなベニヤ張りのボートに自動車のエンジンをつけてぶつかっていく。私たちは本当に少し残った組で……。なんで俺たちだけで最後にしちゃうんだという不満もありましたが、今考えてみると、助かってよかったんじゃないか、と思います。
 今、大阪では維新の会というのができて、先生にランクをつけて罰を加えてそして成績を上げて教育をよくするんだとか、そんな馬鹿げたことを言い出しています。……もう実質上、大政翼賛会でないかと。大政翼賛会の時にはみんな政党が合同しちゃって、丸山さんたちもその傘下に入って動かされた。私は丸山定夫さん、園井恵子さんのファンなんですよ。今年87歳ですが、年寄りでもこのくらいならできるかなと地域に九条の会を作りました。……核兵器をなくせ、原発をなくせ、これを実現させるために頑張りたいと思っています。


発言 浦田沙緒音(「発信する子どもたち」代表)

 「発信する子どもたち」という平和活動をしている学生の団体の代表です。私は小学校4年生の時から平和活動をしています。ちょうど小学校4年生の時にイラク戦争が始まったんですね。2003年の時で、私はお母さんと一緒にテレビでイラク戦争のことを見て、「自分と同じような子どもたちが傷ついている」ということにすごい衝撃を受けてしまって、友だちを誘って平和Tシャツを作ったりしました。反核コンサートで被爆者の手記をみんなで朗読したり、山口県の上関原発の建設をやめてくれというメッセージを226枚くらい集め、それを持って中国電力に面会をして話をしてきました。
 私は3・11が起こる前から原発にはすごく反対してきました。私の母は広島出身なんで、祖母や親戚から話を聞いたり、祖父のいとこに原爆の詩を書いている人がいるのでその本を読んだりすると、原爆と原発はやっぱりどこかしらつながっていると思うんです。何万人もの命を消してしまった原爆と、平和利用している原発はすごく矛盾している。一番被害を受けるのは私のような子どもたちで、今、被害を受けていなくてもこれからどんどんどんどん被害は出てくると思っています。それを止めなきゃいけないのは、今生きてる大人であって、その選択ができるのも大人なんです。子どもには訴える権利はありますけど、選挙権もないですし。私ももう18歳なので、これから大人になっていく世代や大人の世代が、今ちゃんと選択をしていかなきゃいけないと思っています。あといろんな人と話していくのが大切かな。私は原発反対派ですが、世の中には賛成派の人もいるわけで、そういう人と一緒に考えていかなきゃいけない問題だと思っています。意見を押し付けたり、叫んだりしても絶対世の中は変わっていかないなって思うし、もっとみんなで一緒に考えて、対話をすることで、これからどういう選択をしていかなきゃいけないのかという結果が出てくるんだと思うんです。



朗読「仲みどりの被爆」

 ─原子爆弾症第一号のカルテを持つ女優の足跡―

 近野十志夫 詩集 人物史詩「櫻隊」より

 構成=山崎勢津子

出演 瀧澤まどか(劇団文化座)
   劉 毅(劇団俳優座)
   田崎 紀子(創造集団池小)

演奏 富永 正寿(ソプラノサックス)

瀧澤まどか

劉 毅

田崎 紀子

富永 正寿
この朗読はYouTubeで公開しています。アドレスは左記。http://youtu.be/aB8Oei3n2vc

閉会挨拶 神山寛(原爆忌の会 会長代行)
 
  今日の会が無事に終わりましたことをありがたく思っています。雨が降って、記念写真をこの部屋の中で撮るというのも初めての経験でした。ただ、あの会長の明るい話し声が聞こえないのはとっても寂しかった。過日、青年座を会場にお借りして、美代子さんの偲ぶ会を新劇俳優協会と一緒にやった時に、献杯に立った小沢昭一さんが「あの人は死ぬ人じゃないと思っていた」とおっしゃったけど、私も本当にびっくり致しました。振り返ってみると私たちも年寄りになってきました。広島や長崎でも語り部の方がどんどん亡くなっていく、そういう中で、少しでもいい世の中に、平和な世の中にしようと思う仲間を増やしていくことが大事なことだと思います。原爆も、原発も放射能に変わりはない訳で、生物が地球上で生きられないというのが放射能の恐ろしさだと思います。先ほどの朗読の仲みどりさんがあんな身体で東京まで帰って、戦争が終わったからこれからは芝居ができるんだと、ハガキに書く。あれはとっても痛い教えだと思います。自由に芝居ができる平和な世の中を壊すものに対して、敏感に動いていく、反対していく動きが必要だと思います。

神山寛

 桜隊関連の各地の活動

丸山定夫を語る会 (松山市)
 今年の丸山定夫生誕祭は5月27日、定夫の生誕地を訪ねる街歩きを行った。松山の繁華街、約六百メートルの間に定夫とほぼ同時代の著名文化人、安倍能成・中村草田男・伊丹万作など十一人ゆかりの地があることに改めて驚く。この松山の文化的土壌と丸山定夫の名優たり得た豊かな感性の原点が深く結びついていることが思われた。
 白炎忌は定夫の祥月命日8月16日、胸像のある松山市立コミュニティセンターで開催。東京の原爆忌追悼会での肥田舜太郎氏の講演ビデオを視聴。話し合いでは、会員から内部ヒバクの問題や丸山が最後に演じた「獅子」の話など自由な発言で、親族の法要での語らいのような和やかな雰囲気に終始包まれた。(世話人 寺岡信子さんから)

さくら隊を偲ぶ集い (広島市民劇場
 私は70年代、広島市民劇場の会員でした。東京に来てからも鑑賞会の会員になり、芝居を観つづけています。私にとって芝居は無くてはならないものとなっています。
 ここ何年か、原水爆禁止世界大会に参加しているので、8月6日には「桜隊を偲ぶ会」に参加しています。広島市民劇場の人達が殉難碑を守り続けていることに頭が下がります。今年も30余名の人達と共に8時15分に黙とうをしました。原水禁世界大会で知り合った東京の元劇団員と、首都圏鑑賞会の会員を誘い一緒に参加し、お二人から感謝されました。碑に飾られた千羽鶴が「核のない世界を」と訴えているようでした。(参加者 東京・高木美栄子さんから)

園井恵子忌 (盛岡・園井恵子を偲ぶ会)
 2013年は園井恵子生誕一〇〇年にあたるので、イベントを行う会を起ち上げ、現在その準備に入ったところです。
(柴田和子さんから)


関係記事掲載の新聞・雑誌および取材記者

毎日新聞(大阪本社版)1月31日〜5月29日火曜連載「平和を訪ねて」『原爆非命 桜隊は問う』1〜16 広岩近広編集委員
しんぶん赤旗 告知記事(掲載日未確認)
中国新聞 8月7日掲載 山本洋子記者

東京新聞 8月25日掲載「原爆に散った演劇隊」早乙女勝元さん
中村美代子さん追悼記事
中国新聞3月14日 伊藤隆弘さん
週刊新潮3月22日号

ご協力いただいた団体および機関紙誌
日本新劇俳優協会/東京都原爆被害者団体協議会(東友会)


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