■児玉謙次(副会長、劇団青年座) ■近野十志夫(事務局長) ■山崎勢津子(事務局、俳優) 当日配布した資料集(最後の資料参照)に基づいて「苦楽座」創立メンバーであった徳川夢声の『夢声戦争日記』を下敷きに、夢声がメンバーの死を知ったところから、桜隊合同慰霊祭、原爆殉難碑建立までの動き、桜隊原爆忌の会の創立、そして今日までの原爆忌の会の歴史70年を振り返りました。最後に、これからの会の在り方について、今後予想される高齢化による会の運営不全をどう乗り越えるか、会の後継、運営移管についての諸問題を提起しました。
参加者の発言 飯田美弥子(弁護士) 弁護士の飯田と申します。私がここにおりますのは、昨年、有馬理恵さんが、自由法曹団に俳優座公演『先生のオリザニン』の割引券を持って宣伝に来られたのがきっかけです。続いて夏には、有馬さんが大森典子弁護士をモデルにした役をやった朗読劇を聞きに行きました。大森典子先生は私の高校の先輩ということがわかり、いろいろな縁がつながって今日に至っています。 安倍政権になって自民党の改憲草案が出てきた時に、こんな恥ずかしい内容を政府が出してくるのかと非常にびっくりしました。弁護士たちも旺盛に講師活動をやっていますが、私、これは笑いのめしたほうがいいと考えました。飯沢匡先生の『武器としての笑い』が高校時代から愛読書でしたし、水戸一高の落語研究会に所属しておりましたので、昔とった杵柄で、憲法講座を落語のスタイルでやってみました。そうしたら「弁護士の憲法の話を聞いたけど、面白かったのよ」「憲法の話が面白いわけないじゃない。寝ぼけてたんじゃないの」「それが寝なかったのよ」と大変うけまして、今週末も講演があるし、同じネタで二年間やっていますが年内に100回超えるのは確実で、来年の六月まで予約が入っています。富山での講演が新聞に載ったら、富山県ご出身の立川志の輔師匠の耳に入りまして『志の輔ラジオ落語DEデート』に呼んでいただいたりしました。私は八王子合同法律事務所の弁護士なので「八法亭みややっこ」と呼ばれています。地元では弁護士を廃業したのではないかとあらぬ噂になっていて、裁判所で「あれ、何で来たの?」とか言われることもありますが、月曜から金曜までは基本的には弁護士をやっています。土日休日だけ地方公演、巡業していますので休みがありません。まあ、いろいろなご批判もありますが、公演依頼がたくさん来るので、今この瞬間の戦争法案と改憲を阻止するための力になるなら、身を粉にしてでもやろうと思っています。演劇の皆さんも頑張っておられると思いますが、自分でやり始めてみると、舞台を生でやるのは体調管理が大変です。健康に気をつけながら、皆さんに感動と平和の大切さを訴え続けていただきたいと思います。 ■ 飯田 美弥子著『八法亭みややっこの憲法噺』 花伝社 定価800円+税
参加者の発言 森正敏(劇団青年座 代表取締役) 長い歴史のあるこの会に初めて参加させていただきました。劇団青年座でも戦後70年ということで、なぜ日本が戦争に突入していったのかというテーマで野木萌葱さん書き下ろしの『外交官』という芝居を今ちょうどやっています。また座内で話しあって、観客を呼ばないで劇団員だけで先達の話を聞いて、それを自分たちの生活の場で伝えて行こうという企画をたてています。青年座にも戦争時代を過ごしてきた先輩たちがいる。具体的には児玉謙次、久松夕子という二人の俳優の話を聞く会を8月22日にやります。その時に児玉さんがずっと関わってきた桜隊のことも、もう少し具体的に伝えてもらいたいと思っています。高山象三さんのことを「しょうちゃん」と呼ぶ方のお話をこうして直接伺うと、70年前にいた人たちを本当に身近に感じます。このことを僕たちは伝えていかなければならないと改めて感じました。
参加者の発言 鵜沢希伊子 皆さんのお志で生まれ故郷の松山に2010年に建立された丸山定夫さんの胸像にお会いできないかと、私はずっと思い続けていました。この六月に社会派の俳句人創立70周年記念吟行会が四国であり、参加したので、やっと会えるといろいろ調べて松山に行きました。胸像のある総合コミュニティセンター受付の若い女性はキョトンとして「そういうものは」と言うので、私たちが建てたのだからあるはずですと言いましたら、パソコンを開いて「ありました。でもちょっと待ってください」って今度は所内に電話をかけて「ございました。体育館の前の庭にあります」というお返事でした。頼りないこと言うなと思いました。胸像は寂しそうにポツンとあって、説明文も何もないから知らない方は通り過ぎてしまう。建てただけじゃ駄目だ、維持、管理がとっても大事だと思ったので、ここの事務局にすぐお便りしました。先ほど近野さんのお話にもあったように「丸山定夫を語る会」の方たちがお年を召したりご病気になったりして、活動ができない状態だと伺い、今すぐどうこうというのは無理だと思いました。後継者が決まったら、また活発に動いていただけると思います。維持管理にはやはりお金が要ります。この会で皆さんのあたたかいお志をお願いして、しっかり説明や紹介をつくり、これが丸山定夫さんの胸像だとわかるようにしていただきたい。それから松山市にも責任があると思って市長さんにも手紙を書きました。市が出している観光案内には子規とか漱石のことはあっても丸山さんの紹介はありません。郷土の名優・丸山定夫さんについて観光コースの中に入れたり、写真を載せたりするべきです。皆さんもお心に留めていただいて松山に行ったら丸山定夫さんの胸像に会いに行ってください。
参加者の発言 岩崎加根子(劇団俳優座) 朗読やお話を聞いて、胸が詰まって苦しくなっております。犠牲になった方たちの分も強く生きて芝居をしたいと思っております。私の好きな谷川俊太郎さんの『生きる』を朗唱させていただきます。
桜隊関連の各地の活動 ●園井恵子を語り継ぐ会 (岩手町) 「園井恵子を語り継ぐ会」(会長・柴田和子)では、園井恵子の命日である八月二十一日、横浜市在住の作家・山崎洋子氏を特別ゲストに迎え、盛岡市恩流寺において関係者による墓参の後、岩手県公会堂で偲ぶ会を開催した。その後、岩手町「プラザあい」で山崎洋子氏が講演。「八月六日、平和の使者として生まれ変わった園井恵子」という山崎氏の言葉に、改めて語り継ぐ会の意義を確認する。 なお、偲ぶ会に先立ち、来年五月下旬から六月上旬にかけて岩手から東京まで五会場で上演計画中の、園井恵子を主人公にした演劇の舞台制作発表が行われた。原案は上田次郎、演出は詩森ろばと、いずれも盛岡ゆかりの面々。園井恵子役は第四八回紀伊國屋演劇賞個人賞の林田麻里。戦争が激化する中、移動演劇桜隊への参加に道を求めた園井恵子の姿にスポットを当てる。(事務局 佐々木光司さんから) ●丸山定夫を語る会 (松山市) 世話人が80歳代中心となり、白炎忌を開けない年もありましたが、今年は丸山定夫没後70年の節目、8月16日に三年ぶりの開催にこぎつきました。胸像のある松山市総合コミュニティセンターで開催、愛媛新聞も取材に駆けつけてくれました。胸像に花輪を飾り、「戦争は文化も人間も壊す」「新劇の歩みを松山の若者に伝えなくては」などと語り合いました。 参加者は世話人5名に会員1名という結果で、東京でも当会の運営についてご心配いただいているようですが、事務局の引き受け手、資料類の整理、機関紙の発行など、現状では追いついていません。近々世話人会を開き、きちんと相談したいと思っています。人間も誕生したときは皆に祝福されますが、活動が難しくなり、終わることも考えなければならないというのは、本当に難しいものだと思いました。 (寺岡信子さんから) ●さくら隊を偲ぶ集い (広島市民劇場) 今年は被爆70年で産業奨励館の歴史を伝える取り組みの中で、疎開させていた行李の中から「劇団十一人座」についての資料が発見された。丸山定夫とも交流があったらしく、それを取り上げ上演した地元の劇団の人に、その当たりのことを話していただいた。これ以外の資料もどこかに眠っているのかも。 (事務局長 井上邦枝さんから)
本年度の桜隊原爆忌報道および取材記者 しんぶん赤旗 7月27日「戦後70年に思う演劇と戦争は相いれぬ」(神山寛会長に聞く)隅田哲記者 週刊金曜日7月31日号「『桜隊』を知っていますか?」(神山寛会長に聞く)ライター:迫眞一さん執筆 NHK総合テレビ 8月6日放送「首都圏ネット」藤谷萌絵記者 しんぶん赤旗 8月7日「俳優・遺族ら『桜隊』追悼会」隅田哲記者 中国新聞 8月8日「被爆…劇団『桜隊』を追悼」清水大慈記者 東京民報8月9・16日合併号「被爆した桜隊女優・仲みどりさん」歴史研究家:森山康平さん執筆 婦民新聞8月10・20日合併号「9人の俳優の在りし日を偲んで 桜隊原爆殉難者追悼会」 学習の友8月号(7月17日発売)告知記事 東京民報8月2日号 告知記事 詩人会議9月号(8月1日発売)告知記事 ●ご協力いただいた団体 日本新劇俳優協会 東京都原爆被害者団体協議会(東友会)
■訃報■ 加藤武さん(俳優・文学座の劇団代表) 2015年7月31日、86歳。 《2007年ご参加の思い出》 当日の発言:1970年頃、私が無法松で全国を巡演しましてね。当時、杉村春子さんに「ねぇ…あなた、ガンさんが(丸山さんのこと)よかったのよー」って…私が無法松をやっているのにですよ…「本当によかったのよ、ガンさんが!」と…言われた思い出があります。 丸山詠二さん(声優、俳優) 2015年9月24日、84歳。2012年、13年にご参加いただきました。
《資料集》 『桜隊原爆忌の会の誕生までとその歴史』残部僅少ですが、お頒けできます。 ー目次ー ■承前 ─被爆の報と徳川夢声 ■櫻隊合同慰霊会への動き ─1945年8月から9月 ■原爆殉難碑建立への道のり ─1945年から1953年まで(東京) ■広島:さくら隊原爆殉難碑の建立までの経緯 ─1951年から1955年まで(広島) ■「丸山定夫之碑」ができるまでの経緯 ─1966年から1975年まで ■「桜隊原爆忌」提唱からの流れ ─1975年から2015年まで (送料とも ¥200 ただし、郵便振替の場合、振込料は注文者負担でご容赦ください。)