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「国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所」のホームページより転載 |
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●大田区史の「平間街道は古東海道である」は誤解される記述である。 |
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![]() ●古代の東海道の推定駅路ー
小高から「丸子渡し」で多摩川を渡河する、中道(中原街道)を進み大井から海岸線を進み、豊島(鳥越神社付近)から隅田川を渡河する地点、井上(いかみ)である。(図・『図説千葉県の歴史』三浦茂一編 河出書房新社 1986年)
●上記のルートは、「前九年の役」で奥州に向かう源頼義・義家親子が六郷河口に立ち寄り、兵を集め常陸の国に向かった道ではないか。 平安時代に河内源氏祖先が、常陸国の桓武平氏である多気大掾氏と共に平忠常の反乱を平定したことから源氏の家人となった。多気大掾氏に連絡をするため、六郷河口に住む多気大掾氏一族に逢った。舟を使った連絡である。多気氏は多摩川上流にあった荘園の荷を舟で運ぶ仕事をしていたと考える。六郷の行方氏(私見) |
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