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●「諸国名橋奇覧 飛越の境つりはし」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)天保4年から5年(1833-4)
版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ 東京国立博物館蔵 |
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●『諸国の橋を主題としたシリーズ。 |
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●「諸国名橋奇覧 三河の八ッ橋の古づ」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)、天保4年から5年(1833-4)版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ ボストン美術館蔵。 ![]()
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●「諸国名橋奇覧 摂州天満橋」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)、天保4年から5年(1833-4)版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ 東京国立博物館蔵 ![]() ●「諸国名橋奇覧 かめいど天神たいこはし」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)、天保4年から5年(1833-4)版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ ボストン美術館蔵。拡大表示 |
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●「諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)、天保4年から5年(1833-4)版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ パブリックドメイン |
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●「諸国名橋奇覧 東海道岡崎矢はぎのはし」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)、天保4年から5年(1833-4)版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ パブリックドメイン | ||||||||||||
●「諸国名橋奇覧 かうつけ佐野ふなはしの古づ」絵・前北斉為一筆(葛飾北斎)、天保4年から5年(1833-4)版元・西村屋与八。横大判錦絵26.1×37.3センチ ボストン美術館蔵。拡大表示 ボストン美術館 現在の群馬県高崎にあった鳥川を渡る船橋である、 万葉集(巻14)では、上野国の佐野を謳った歌が四首確認されています。有名なのは、藤原定家の『駒とめて袖うち払ふかげもなし 佐野の渡りの雪の夕暮』、北斉はこの歌にちなんで描いたと言われる。(『別冊太陽 日本のこころ174 北斉決定版』平凡社 2010年刊)(注、新古今和歌集 巻6ー671・定家の誤り)、また、佐野は和歌山県新宮市佐野ではないかとの説もある。 元来、船橋は急流で橋が架けられないためか、江戸防衛のため橋でなく船橋にした防衛上の理由です。日光街道の金町松戸の船橋、東海道六郷渡しなどが知られ、「六郷の渡し」に 船橋が作られたのは、八代将軍吉宗に見せるためのゾウを渡すためと、明治天皇が江戸に入るため官軍に護られ行軍した、2回しかありません。 (『金町松戸関所ー将軍御成と船橋ー』葛飾区郷土と天文の博物館 2002年刊) | ||||||||||||
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