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●昭和13年(1938)頃…第二京浜国道工事が始まってから1〜2年後、馬込町西一丁目の旧家である河原貞利氏の話が「大田区史」編集・発行大田区役所 昭和26年(1951)に記載されている。 ●『昔から横穴が至る所にあった、村人はこれを入定穴と呼び、戦死者を埋葬した穴であるとか、戦敗者が逃げ込んだ穴であるとか、色々に言われていた』『河原半七郎氏の邸の丘陵の切崩しのときに発見された横穴から、二本の直刀が表れたが、どれも倒卵形のつばを持つ圭頭形の柄の直刀で、佐藤朝山氏はこれを参考として和気清麿の銅像を製作された』と記載されている。この直刀が下記写真の大田区立郷土博物館(菊池義次コレクション)所蔵の刀ではないかと思う。 ●別の資料では、この直刀の出土場所を河原半七郎氏ではなく河原定利氏邸(南馬込5丁目)としている。『馬込の歴史』窪田明治著 昭和47年1月21日(私家本 馬込図書館蔵)旧住所と親と子の関係と思われる。 |
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●塚越横穴簿群(南馬込5-42-44、西馬込2-26・31・32・34・35、仲池上1ー2〜7番) |
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これらの遺跡は、標高15メートル付近にあり、日当たりの良い南向きにある。この横穴墓群で、特に有名なのは「塚越14号墓」である。大きさは、ひと一人が埋葬された小さなもので、埋葬品の豪華さに比べ粗末なものでした。埋葬品は、金剛製頭椎太刀(官人の持つ刀)ひとつ、金剛製円頭太刀ひとつ、直刀(5)、鉄鏃(てつぞく 鉄製の矢尻 5種類・117本)轡(くつわ)ひとつ、鉄地金剛張杏葉残欠(2)、人骨などが出土した。「塚越35号墓」では、「雙脚足金物を持つ直刀」(長さ1メートルほど)出土した。 |
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また、この土地を治める族長ではない官人の埋葬墓は、
塚越横穴墓群の埋葬者が推定できた貴重な資料と言えます。(地図参照) (馬込地区について) |
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●横穴墓(よこあなぼ)又は(おうけつぼ)について…… |
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写真、上から塚越14号墓の「金銅装頭椎太刀」、写真ー中、塚越14号墓「金銅装円頭太刀」、写真ー下、塚越35号墓「直刀」。(大田区立郷土博物館蔵 菊池義次コレクション 常設展示)ただし特別展示期間には外されることもあり、要確認・大田区立郷土博物館 電話03-3777-1070 |
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