明治初年頃の鶴岡八幡宮の荒廃、上の写真でその様子が分かる。
●明治3年の廃仏毀釈では大塔を始め主だった仏堂は全て破壊された。それだけでなく仏教に関係するもの、仏像、仏具、什宝、経典なども焼かれたり、持ち出されたり散佚したという。この行為の先頭に立ったのは、神仏分離で神主に改名した十二院の社僧であったのではないか、他の寺の場合にもそのような例が多い。わずかに残った仏堂も明治8年の火事で焼失した。(
写真家フェリーチェ・ベアトにより撮影されている)
● 廃仏毀釈による破壊で什宝は散佚したが、行き先が判明している美術品もある。
鎌倉寿福寺(仁王門仁王像)、浅草寺(一切経 重文、他は焼失)、普門院(薬師堂の仏像)、五島美術館(愛染明王像 重文)、東京国立博物館(伝源頼朝像)元は白旗明神社の御神体であったという。鎌倉青蓮寺の弘法大師座像(重文)は旧等覚院の本尊であったという。その他、数多くの什宝が寺や個人所蔵になっている。
以上の出来事は、鶴岡八幡宮だけに起きたのではなく日本中の寺や神社で起きた廃仏毀釈の影響です。破壊を免れたものの、どれだけが外国のコレクターや美術館に買われたかわかりません。浮世絵やのように海外に重要な美術品があるという事態になっています。